1999年5月11日(火)の山形新聞に掲載された、どんどん焼きの記事をご紹介します。
この頃の屋台では、お好み焼き屋の看板でどんどん焼きを売っていました。
山形新聞の記事にもありますが、どんどん焼きの看板で、どんどん焼きを売っていたのはCoCo夢やがはじめてです。この看板は東北芸術工科大学の学生さんがつくりました。
2007年5月11日 発行
山形コミュニティ新聞から取材を受けました。
・山形独自の食文化
・10年前には「死語」に
・B級感こそ持ち味
・古きよき昭和30~40年代
という内容でインタビューにお答えしました。詳しくは記事をクリックしてご覧下さい。